なぜ旧暦8月15日が「中秋の名月」と呼ばれるのか?

中秋の名月を背景に、縁側に供えられた月見団子と里芋、揺れるすすきが並ぶ秋の夜の情景
目次

なぜその日なのか?

「中秋の名月」とは、旧暦8月15日の夜に輝く月の呼び名です。
この夜を楽しむ風習は、日本では「お月見(十五夜/観月)」、中国では「中秋節」として知られています。

新暦に置き換えると、およそ9月中旬から10月初旬にあたります。年ごとに日付が動くのは、太陽のリズムで刻む新暦と、月の満ち欠けを基準にする旧暦という、二つの暦を行き来するためです。ちなみに2025年は10月6日がその日にあたります。

では、なぜ旧暦8月15日の月を「中秋の名月」と呼び、特別に愛でるようになったのでしょうか。

このあと、暦の仕組みと「なぜ中秋なのか」の答え、中国から伝わった観月の文化、日本で庶民に広まったお月見の風習、そして現代に受け継がれる意味を、順にたどっていきます。

少し歴史に寄り道しますが…… 月は気長に待っていてくれるでしょう。

なぜ「中秋」と呼ぶのか?中秋の月は本当に名月なのか?

なぜ「中秋」と呼ぶのでしょうか?
まずは暦の話から始めましょう。

旧暦では一年を四季に分け、さらに各季節を三つの月に区切ります。
春は1・2・3月、夏は4・5・6月、秋は7・8・9月、冬は10・11・12月。

そのうち季節の真ん中にあたる月 ── 春なら2月、夏なら5月、秋なら8月、冬なら11月 ── を「仲春」「仲夏」「仲秋」「仲冬」と呼びました。

つまり、旧暦8月は「仲秋」、すなわち秋の真ん中の月
その15日は、まさに仲秋のど真ん中にあたります。
厳密にいえば「中仲秋」とでも呼ぶべきところですが、さすがに語呂が悪い。
そこでシンプルに「中秋」と呼ばれるようになったのです。

まるで入れ子人形マトリョーシカのように、「真ん中の真ん中」を指す言葉だといえるでしょう。

春夏秋冬を並べた樹木のイラスト。秋の木と満月が明るく描かれ、旧暦8月「仲秋」を強調している。
四季を表す木々の中で、秋と満月を強調して描いた「仲秋(旧暦8月)」のイラスト。

ここでふと「でも、なぜこの日の月が特別に美しいの?」と疑問に思われるかもしれません。
実はそこには自然の仕組みが関わっています。

唐代の文人・欧陽詹(おうよう せん, 755–800)は『全唐詩』にこう詠んでいます。

冬の月は霜繁くして甚だ寒い、夏の月は雲蒸して甚だ暑い、
秋八月の月は暑からず寒からず

つまり中秋の月は、まるで「ちょうどいい湯加減のお風呂」のように、絶妙なタイミングで姿を現すのです。

実際、この頃の月は北半球では観月に最も適した高度に昇ります
夏の月は高すぎて首が痛くなり、冬の月は低すぎて建物に隠れがち。
中秋の月は、まるで「私を見て」と言わんばかりに、ちょうどよい角度で夜空に浮かんでいるのです。

さらに秋は台風シーズンを過ぎ、空気中の水蒸気も少なく、空気が澄んでいます
月は毎月満月になりますが、中秋の満月が特別に美しく見えるのは、この天然のフィルター効果のおかげなのです。

夏と秋の大気の違いによる月の見え方の比較図。夏は湿度が高く月がかすみ、秋は空気が澄んで満月がくっきり見える。
夏は湿度が高く月がぼんやり、秋は空気が澄んで美しい満月が見える。中秋の名月が際立つ理由を示す図解。

つまり「中秋の名月」とは、暦のうえで「真ん中の真ん中」であり、自然条件的にも「最高の観賞条件」が揃った、まさに月見界の特等席。
古人たちは、偶然ではなく必然として、この日を選んだのです。

中国の宴、日本の雅 ── 月が結んだ文化

中秋の月見は、まさに国際的な文化交流の産物です。
その源流をたどれば、古代中国の観月習慣に行き着きます。

中国では古くから月を愛でる風習がありましたが、唐代(618〜907年)になると、文人たちの間で「月を眺めながら詩を詠む」という風流な遊びが大流行しました。
まるで現代のインスタ映えを狙うかのように、彼らは美しい月夜を背景に知的な宴を開いたのです。

やがてこの雅な遊びは宋代(960〜1279年)に定着し、「中秋節」として正式な行事になりました。
その際に生まれたのが、満月をかたどった丸いお菓子「月餅」です。

円い形は家族団欒の象徴。
お菓子にまで哲学を込めてしまうところに、中国らしさが表れています。

一方、日本では平安時代に遣唐使がこの文化を持ち帰りました
最古の記録は漢詩人・島田忠臣(しまだのただおみ、828〜889年)の詩とされ、文徳天皇の時代(850〜858年)にはすでに、詩人たちが私的に観月の宴を開いていたと伝えられます。

興味深いのは、平安貴族の月の楽しみ方です。
彼らは月を直接見上げず、杯や池の水面に映る月影を愛でました。
まるで「直視は野暮、間接的に楽しむのが粋」とでも言うように。
この控えめで奥ゆかしい美意識こそ、平安貴族らしい雅な精神の表れだったのでしょう。

唐代の文人が川辺で月を眺め詩を詠む場面と、平安貴族が池や杯に映る月影を愛でる場面を描いたイラスト。
唐代の中国では文人が月を眺めて詩を詠み、平安の日本では貴族が池や杯に映る月を愛でた。両国に根づいた観月文化の比較。

こうして中国で生まれた観月文化は海を渡り、日本独自の繊細さと奥ゆかしさをまとって根づいていきました。
文化とは、国境を越えてなお磨き上げられる、美しい贈り物なのです。

月に感謝、芋に感謝 ── 江戸の月見

貴族の風雅な遊びも、時代を下ると庶民の手に渡り、まったく違う姿を見せるようになります。

室町時代には、華やかな詩宴はしだいに簡素化され、月に手を合わせ、供物を捧げる素朴な形式へと変わりました。
まるで豪華なフルコースが、温かな家庭料理へと姿を変えるように。より実用的で親しみやすい行事になっていったのです。

そして江戸時代、月見は庶民文化として完全に花開きます。
ここで主役は詩歌から農作物へとバトンタッチ。
秋の実りに感謝する祭りとして、新たな生命を吹き込まれました。
とくに里芋を供えることから、この夜は「芋名月」と呼ばれるようになります。

なぜ里芋なのか? 答えは単純です。
中秋のころがちょうど収穫の時期だったから。
自然の恵みに合わせて感謝を捧げる ── 理にかなった風習です。

月見団子が登場するのは江戸中期以降のこと。
でも、ここにも地域差がありました。

関東では丸い団子をピラミッド型に積み上げ、関西では里芋の形を模した団子にあんこを巻く。
同じ月を見上げながら、関東は幾何学的、関西は自然志向。
お国柄の違いが団子にまで表れています。

供物はほかにも、すすき、枝豆、栗などがありました。
すすきは稲穂に似た形から豊作の象徴に。
枝豆や栗は秋の恵みへの感謝のしるし。

月見台は、まさに自然に宛てた感謝状を並べた祭壇だったのです。

江戸時代の縁側で、月見団子・里芋・すすきを供え、家族が笑顔で中秋の名月を眺めているイラスト。
縁側に月見団子や里芋、すすきを供え、家族が笑顔で満月を眺める江戸時代の月見風景。

東アジア、それぞれの月見

月を愛でる文化は、東アジアに共通する大切な財産です。
ただし、その姿は国ごとに少しずつ違い、個性豊かに発展してきました。
さっそく覗いてみましょう。

まず中国。いまも主役はやはり月餅です。
丸い形は家族団欒の象徴とされ、現代では「団欒節」とも呼ばれます。
離れて暮らす家族がこの日に集まる。
月餅ひとつに「みんな揃って」という願いが込められ、中国人の心を結んでいるのです。

韓国の秋夕(チュソク)は、日本のお盆に近い行事です。
墓参りと先祖供養が中心で、家族が一堂に会して祖先を敬う。
月よりも先祖が主役となるところに、いかにも儒教文化らしい色合いがにじみます。

台湾では文旦(ぶんたん)という柑橘が欠かせません。
さらに1980年代からはバーベキューが大流行し、伝統と現代が同居する独特の風景が生まれました。
ただ、月を見ながら肉を焼く姿を古人が見たら。
きっと腰を抜かすに違いありません。

ベトナムでは子どもが主役です。
灯籠を手にしたパレードが街を練り歩き、獅子舞が各家を訪ねます。
大人の風雅な行事から子どもの祭りへと変化したのも、文化の柔らかさを物語っています。

中秋の満月を背景に、中国の月餅、韓国の家族団らん、台湾のバーベキュー、ベトナムの獅子舞と灯籠を描いた東アジアの月見文化のイラスト。
中国の月餅、韓国の家族団らん、台湾のバーベキュー、ベトナムの獅子舞。国ごとに異なる中秋の風習を同じ満月の下に描いた。

形はさまざまに変わっても、共通しているのは「満月への願い」です。
丸い月は円満を、欠けのない形は団結を象徴する。
国境を越え、同じ月を見上げながら、人類は同じ祈りを捧げているのです。

現代に生きる中秋の名月

LED街灯やデジタルサイネージに囲まれた現代社会で、月見はかつてとは違う意味を持つようになりました。

昔の人々にとって、月は夜道を照らす実用的な光源でした。
とりわけ中秋の名月は、豊作を祈る切実な対象。
生きるか死ぬかを左右する思いが、そこには込められていたのです。

一方、現代の私たちにとって月見は、意識的に暗闇と向き合う時間になりました。
街の明かりを忘れ、スマートフォンを置いて、ただ空を見上げる。
それは心を静かに満たす精神的な営みへと変化しました。

旧暦8月15日が「中秋の名月」に選ばれたのは、偶然ではありません。
暦の真ん中という象徴性、観月に最も適した自然条件、そして文化が磨き上げた美意識。
これらが重なって生まれた、必然の選択だったのです。

古人の洞察力には、いま改めて感服せざるをえません。

これで、歴史への寄り道はひとまずおしまい。
少し長い寄り道でしたが、月はきっと待っていてくれたことでしょう。

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この記事を書いた人

「世界はなぜでできている」編集長兼コンテンツライター。
「日本リテラシー」の考案者・専門家・ナビゲーター。
翻訳・調査・Webマーケティング専門会社の経営者として25年以上にわたり、企業・官公庁向けにサービスを提供。
日本文化・歴史・社会制度への深い理解をもとに、読者が「なるほど」と思える知的体験をお届けします。

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