なぜ77歳になると喜寿、88歳になると米寿と呼ばれるのか?

喜寿と米寿を擬人化したキャラクターが舞台で手を取り合い、鶴や松竹梅に囲まれて祝うユーモラスなイラスト
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七七・八八に隠された、日本人のユーモアと敬意

どうして77歳は喜寿(きじゅ)、88歳は米寿(べいじゅ)と呼ばれるのでしょうか?

祖父母のお祝いの席で耳にしても、その理由までは考えたことがない。
そんな方も多いはずです。

七や八という、ただの数字。
ところが昔の人は、その並びに「ある漢字のかたち」を見つけてしまったのです。
そこから、長寿を祝うユーモラスな呼び名が生まれました。

かつては七十七や八十八まで生きることが、奇跡に近い出来事でした。
人びとはその稀な幸運を、言葉遊びに託して敬意を表したのです。

「長寿祝い」とは何か

人の一生は、ただ年を重ねるだけではありません。
人生の節目ごとに「ここまで無事に生きてきた」ことを確かめ合う。
そのために生まれたのが長寿祝いです。
古くは「年祝い」「賀寿(がじゅ)」とも呼ばれました。

奈良時代の貴族社会では、40歳を過ぎると10年ごとに祝宴を開きました。
そこには「厄をはらい、命を長らえたい」という祈りが込められていたといわれます。

平均寿命が30〜40歳ほどだった時代に、70や80を迎えることは、まさに神話級の長生き。
だからこそ「古稀(こき)」「喜寿(きじゅ)」「米寿(べいじゅ)」など、特別な名前を与え、社会全体でたたえたのです。

やがて室町時代には「還暦」という言葉が定着し、江戸時代には庶民にまで広がりました。
「長生きすること」自体がエンターテインメントとなり、家族や地域で盛大に祝う文化が根づいたのです。

江戸時代の家屋で、長寿を迎えた老人を囲んで家族が祝う様子を描いた浮世絵風イラスト
江戸時代には庶民のあいだでも長寿祝いが広がった

では、具体的にどんな年齢が区切りとされてきたのでしょうか。
ここで一覧を見てみましょう。

賀寿の代表例(一覧)

  • 還暦(かんれき・61歳) … 生まれた年の干支に還る「本卦(ほんけ)がえり」
  • 古稀(こき・70歳) … 杜甫の詩「人生七十古来稀なり」に由来
  • 喜寿(きじゅ・77歳) … 「喜」の草書体が「七十七」に見える
  • 傘寿(さんじゅ・80歳) … 「傘」の略字「仐」が「八十」に見える
  • 米寿(べいじゅ・88歳) … 「米」の字を分解すると「八十八」
  • 白寿(はくじゅ・99歳) … 「百」から「一」を取ると「白」

ほかにも「卒寿(90歳)」「茶寿(108歳)」など、知恵と遊び心に満ちた呼び名が続きます。

喜寿(77歳)の由来

「喜」という字を草書体で書くと「㐂」と崩れます。
これがどう見ても「七十七」に読める ── それが喜寿の名前の由来です。
いわば、漢字がひとりで勝手に「77歳おめでとう」と祝ってくれているわけです。

喜寿(77歳)の由来を示す図解。楷書体の『喜』が草書体で崩れ、『七十七』の形に見える流れを矢印で示している
草書体の『喜』は『七十七』に見えることから喜寿と呼ばれる

喜寿のテーマカラーは紫。
高貴さを象徴する色であり、「人生七十七年の重み」を纏うにふさわしいとされてきました。

もっとも江戸時代の平均寿命は40歳前後。
77歳まで生きるのは奇跡に近く、現代でいえば120歳を迎えるくらいの驚きだったかもしれません。
まさに「稀有な長寿」だったのです。

米寿(88歳)の由来

「米」という字をよく見ると、八十八に分解できます。
そこから「米寿」
なんとも日本らしい発想です。

米寿(88歳)の由来を示す図解。「米」の字を分解すると「八十八」になることを矢印で示している
「米」の字は分解すると「八十八」になることから米寿と呼ばれる

しかも稲穂の黄金色と重ね合わせて、米寿のシンボルカラーは金茶色。
田んぼに垂れる稲穂のように、人生の実りを祝う色です。

米は古来、日本人の命の糧であり、神事にも供えられてきました。
だからこそ「米寿」は単なる数字遊び以上の意味を持ちます。
米を支えに生きてきた人生八十八年を、社会全体で称える ── そんな文化的背景が見えてきます。

他の賀寿の例

喜寿や米寿ばかりが有名ですが、ほかにも知恵と遊び心に満ちた呼び名があります。

  • 古稀(こき・70歳)
    唐の詩人・杜甫が詠んだ「人生七十古来稀なり」に由来。実際、杜甫自身は70歳に届かず亡くなったので、皮肉といえば皮肉です。
  • 傘寿(さんじゅ・80歳)
    「傘」の略字「仐」が「八十」に見えることから。長寿の祝いに「傘」を贈るのも、粋なしゃれです。
  • 白寿(はくじゅ・99歳)
    「百」から「一」を引くと「白」になる。99歳まで生きたら、もはや白髪どころか仙人の域でしょう。

こうして眺めてみると、長寿祝いはただの迷信や儀式ではなく、文字と文化を掛け合わせた知的な遊びであったことがわかります。
人は老いをただ恐れるのではなく、笑いや敬意をまとわせて受け止めてきたのです。

昔の奇跡が、今は日常に

昔なら「77歳?88歳?それは仙人の話だろう」と笑われたかもしれません。
ところがいまでは、その年齢を迎える人がご近所にごく普通にいらっしゃいます。

戦後の日本は医療と衛生の劇的な発展で寿命をぐんぐん延ばし、いまや平均寿命は男女とも80歳を超えました。
かつて「古来稀(こき まれなり)」とされた年齢が、日常の風景に溶け込むようになったのです。
杜甫が見たら、「稀どころか、あふれているではないか」とぼやいたに違いありません。

こうした長寿を祝う文化は、現代社会でも「敬老の日」として受け継がれています。
9月の第3月曜日 ── 忙しい日本人にとってはありがたい三連休の一日ですが、本来は「多年にわたり社会につくしてきた高齢者を敬い、長寿を祝う」日
1947年(昭和22年)に兵庫県の小さな村で開かれた敬老会が、全国的な祝日へと発展したのですから、人を敬う心の力は侮れません。

三世代の家族が食卓に集まり、長寿を迎えた祖母をケーキや鯛の料理で祝っている様子
いまも長寿をともに喜ぶ文化は続いている

さらに21世紀に入ると、「緑寿(ろくじゅ・66歳)」「茶寿(ちゃじゅ・108歳)」といった新しい賀寿も登場しました。
たとえば「茶」の字は「十・十・八十八」に分解できるので108 ── もはやクロスワードパズルの域です。

こうして眺めると、長寿祝いは単なる年齢の区切りではなく、時代ごとの寿命や価値観を映す鏡だといえます。
平均寿命が伸びれば、新しい賀寿が生まれる。
言葉と文化の柔軟さこそ、日本人のしたたかなユーモアなのです。

長寿を祝う言葉は、相手への贈り物であり自分への問いでもある

喜寿や米寿の背後には、「長く生きてこられたことへの敬意」と「祝福の気持ち」が息づいています。
数字と漢字を重ねた洒落が、やがて人生の節目を彩る大切な文化となりました。
日本人は老いを恐れるばかりでなく、そこにユーモアと敬意を織り込みながら受けとめてきたのです。

次に大切な人がこの節目を迎えたとき、あなたはどんな言葉を贈るでしょうか。
それは相手への敬意を形にする小さな実践であり、同時に私たち自身が人を大切にする感性を磨く機会にもなります。

さらにこれは、未来の自分への問いかけでもあります。
自分がその年齢に達したとき、どんなふうに祝われたいか。どんな時間を歩んでいたいか。
喜寿や米寿という呼び名を知ることは、単なる雑学にとどまらず、人生をどう生きるかを考えるヒントになるのです。

参考文献・出典一覧

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この記事を書いた人

「世界はなぜでできている」編集長兼コンテンツライター。
「日本リテラシー」の考案者・専門家・ナビゲーター。
翻訳・調査・Webマーケティング専門会社の経営者として25年以上にわたり、企業・官公庁向けにサービスを提供。
日本文化・歴史・社会制度への深い理解をもとに、読者が「なるほど」と思える知的体験をお届けします。

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