霞んだふるさとの顔を、どう取り戻すか
日本の47の都道府県は、まるで47色の絵の具のパレットのようです。
言葉も祭りも食べ物も、その土地ごとに異なる彩りを放ち、ひとつとして同じ色はありません。
ところが戦後の高度経済成長の波は、その豊かな色彩を覆い隠しました。
都市に人が集中し、市町村合併で町や村の輪郭が塗り替えられるなかで、「ふるさとの顔」は少しずつ霞んでいったのです。
とはいえ、多様性そのものが消えたわけではありません。
むしろ地方は、新しい方法で自分たちの物語を語ろうとしました。
その工夫のひとつが「ゆるキャラ」と「B級グルメ」です。
一見、軽やかでユーモラスな取り組み。
しかしその裏には、地域の彩りを再び際立たせようとする懸命な工夫がありました。
その結果、日本の地方の多様性は現代において、いっそう鮮やかに浮かび上がることになったのです。
これから、その物語をたどってみましょう。
都市化がもたらした「ふるさと喪失」
戦後、日本は猛烈なスピードで成長しました。
工場が立ち並び、新幹線が駆け抜け、地方の若者たちは仕事や学びを求めて都市へと移動していきます。
その流れは、やがて「人口流出」という言葉で語られるようになりました。
地方に残されたのは、静まりかえった商店街や、灯りの消えた集落です。
家はあっても人がいない。
そんな風景が各地に広がっていきました。
さらに平成に入ると、市町村合併の大きな波がやってきます。
長く親しまれてきた町や村の名前が地図から消え、行政単位としての「顔」は一つにまとめられていきました。
かつては祭りや方言がその土地の誇りを支えていたのに、その拠り所が曖昧になってしまったのです。
過疎と合併が進む中で、多くの人々が自問しました。
「自分たちのふるさとについて、外の人にどう語っていけばいいのだろう?」

多様性が失われたのではありません。
ただ、それが見えにくくなっていただけでした。
ここから、地方は新しい自己表現の方法を探し始めることになります。
ゆるキャラ戦略 ── 「かわいい」が地域を救う?
「この町に顔をつけよう」。
そう考えたのは、市役所の担当者や商工会の人々でした。
合併で名前が変わり、人口も減っていく。
ならば、せめて誰もが思い浮かべる「顔」が必要だ。
そこで生まれたのが、ゆるキャラです。
耳は大きく、目はまん丸。
ときには武将の兜をかぶり、ときには農産物の着ぐるみをまとう。
洗練されたデザインよりも、「親しみやすさ」こそが命でした。
代表格は、滋賀県彦根市の「ひこにゃん」です。
2007年、彦根城築城400年祭のキャラクターとして誕生したこの白いネコは、赤い兜をかぶって登場するや否や、観光客の心を一瞬でつかみました。
関連グッズは飛ぶように売れ、城という「歴史の重厚さ」を、ゆるキャラという「かわいらしさ」で翻訳してみせたのです。
まるでこわもての殿様が、急に子どもと鬼ごっこを始めたようなギャップが、人々を笑顔にしました。

さらに全国に衝撃を与えたのが、熊本県の「くまモン」です。
2010年に制作され、2011年の九州新幹線全線開業に合わせて全国PRが本格化。
瞬く間に全国区となり、累計売上は202年に約9,891円、以後1兆円規模と報じられています。
もはや一自治体のマスコットの域を超え、日本を代表するキャラクターのひとつに成長しました。
くまモンの強さは「かわいさ」だけではありません。
熊本県はライセンス使用料を原則無料とし、企業や商店が自由に活用できる仕組みを整えました。
その結果、菓子から衣料品まで、あらゆる商品が「くまモン化」し、熊本の存在を全国に知らしめることになったのです。
これは、地方行政としては異例ともいえる「オープン戦略の勝利」でした。

奈良の「せんとくん」もまた、特異なキャラクターです。
2008年、平城遷都1300年祭の公式キャラクターとして登場しましたが、「仏とシカを合体させるとは不謹慎だ」と当初は大バッシングを浴びました。
しかし皮肉にも、その騒動が知名度を押し上げ、全国的に話題をさらったのです。
とはいえ、その後の歩みは、くまモンのように全国ブームへとは広がりませんでした。
消費者が日常的に求めていたのは、奇抜さよりも安心感だったのかもしれません。
それでも、せんとくんは今も奈良県の観光や広報活動に登場し、地元では親しまれる存在です。
全国区のスターではなくとも、地域にしっかり根付いたキャラクター。
それが、せんとくんの現在の立ち位置だといえるでしょう。
ゆるキャラは、地方が自らの「顔」を取り戻すための試みでした。
それはまた、地図から消えかけた町や村が「私はここにいる」と宣言する方法でもありました。
おどけた仮面をかぶりながらも、ゆるキャラは地域の存続を背負った小さな戦士だったのです。
B級グルメ戦略 ── 安くてうまいは強いブランド
地方がもうひとつ選んだ武器は、「食」でした。
それも高級料理ではなく、庶民的で日常に根ざした味。
名づけて「B級グルメ」です。
先陣を切ったのは、静岡県富士宮市の「富士宮やきそば」です。
コシのある独特の麺に、削り粉と肉かすを加えるのが特徴。
決して豪華ではありませんが、地元では昔から親しまれてきた味でした。
2006年、これを武器に初代B-1グランプリで優勝すると、一気に全国区となり、市内の来訪者数は数倍に跳ね上がります。
観光客が列をなし、普段は静かな商店街がまるで縁日のような賑わいを見せたのです。

秋田県の「横手やきそば」も負けてはいません。
半熟の目玉焼きをどんとのせ、福神漬けを添えるスタイル。
こちらもB-1グランプリで注目を集め、町の名前を全国に広めました。
焼きそばという誰にでも親しみやすい料理が、「この地域らしさ」を体現する旗印になったのです。

やがて「B-1グランプリ」は全国的なムーブメントへと拡大していきます。
2006年の青森県八戸市での開催を皮切りに、各地を巡回。
ルールは単純で、来場者が「食べておいしい」と感じた一皿に箸で投票する仕組みです。
順位が決まると、その料理は一気にメディアに取り上げられ、「ご当地グルメ」の名が全国に知れ渡りました。
安さと親しみやすさゆえに、リピーターも多く、ブームは地方都市の経済を潤しました。
しかも、効果は単なる観光収入にとどまりませんでした。
地元の人々が「うちの町には、これがある」と胸を張るようになりました。
B級グルメは単なる料理ではなく、その地域を象徴する「食のシンボル」となったのです。
ブランド化の意義と課題
ゆるキャラやB級グルメの事例が教えてくれるのは、地域ブランド化における成功の条件です。
それは単なる見た目の新しさや派手な仕掛けではなく、地域資源に根ざした物語を持っているかどうか。
ひこにゃんは「彦根城」という歴史を背負い、くまモンは「熊本」という地名を背負いました。
富士宮やきそばや横手やきそばも、地元製麺業者の工夫やその町の食文化があってこそでした。
つまり、土台に「地域ならではの物語」があるからこそ、全国の人々の心に響いたのです。
一方で、課題も浮かび上がりました。
ひとつは一過性のブームに終わる危険。
流行に乗ってキャラクターやご当地グルメを乱立させても、半年もすれば人々の記憶から消えてしまいます。
実際、全国で1,500体以上のゆるキャラが誕生しましたが、その多くは今や忘れられています。
もうひとつは商業化のリスクです。
ブランドが大きくなればなるほど、地元の声よりも市場原理が優先されがちです。
「儲かればいい」だけの模倣が生まれ、元々の物語が薄まってしまう危険もあります。
それは、せっかくの多様性を逆に均質化させることになりかねません。
では、なぜそれでもブランド化を進めるのでしょうか。
それは、土地に根付いた物語を、外の人や次の世代の心に響くように伝えるためです。
文化や伝統は、そのままでは価値が届きにくいこともあります。
だからこそ、ゆるキャラやB級グルメといったわかりやすい姿に翻訳し、現代の人たちに示す必要があるのです。

ブランド化とは文化を壊すことではありません。
むしろ語り直すことで、地域文化の多様性を現代の舞台に映し出す営みなのです。
遊び心が証明した地域の力
ゆるキャラやB級グルメは、一見するとどこかユーモラスで軽やかに映ります。
けれども、その背後には地方が生き残るために練り上げた確かな戦略がありました。
合併や人口減少によって霞んでしまった「ふるさとの顔」を、もう一度鮮やかに描き出す。
そのために地方は、キャラクターや食というわかりやすいかたちに、自分たちの物語を託したのです。
それは単なる観光キャンペーンではありません。
地域の物語を現代の言葉で語り直す翻訳作業であり、地方の多様性を新たに定義し直す文化的な営みでした。
かわいらしいキャラクターも、庶民的な一皿も、実は地域の知恵と誇りの結晶です。
そして、それらが並び立つ風景こそ、日本という国が持つ豊かな個性が、現代にふさわしいかたちで息づいている証しなのです。
参考文献・出典一覧
- 国土交通省「過疎地域等における集落の状況に関する現況把握調査報告書」国土交通省(2025年9月18日閲覧)
- 観光庁「旅行・観光消費動向調査 2024年 年間値(確報)」観光庁、2025年4月30日(2025年9月18日閲覧)
- 神田兵庫、磯田弦、中谷友樹「人口減少局面に置ける日本の都市構造の変遷」『地理学評論』第72巻第2号、2020年(2025年9月18日閲覧)
- クレソン株式会社「外国人500人にアンケート調査!外国人が選ぶ人気の日本伝統文化ランキング」PR TIMES、2023年12月14日(2025年9月18日閲覧)
- ウィキペディア日本語版編集者「くまモン」ウィキペディア(2025年9月18日閲覧)
- ウィキペディア日本語版編集者「ひこにゃん」ウィキペディア(2025年9月18日閲覧)
- マネーポストWEB編集部「ご当地ゆるキャラ「くまモン」は関連商品売上1兆円、一方で「税金の無駄遣い」と揶揄され消えゆくキャラも続々」マネーポストWEB、2023年5月16日(2025年9月18日閲覧)
- ビジネス+IT編集部「消えた「せんとくん」と生き残る「くまモン」の違い、熊本県は何を仕掛けたか?」ビジネス+IT、2022年7月20日(2025年9月18日閲覧)
- ウィキペディア日本語版編集者「B級グルメ」ウィキペディア(2025年9月18日閲覧)
- ウィキペディア日本語版編集者「B-1グランプリ」ウィキペディア(2025年9月18日閲覧)
- ウィキペディア日本語版編集者「ご当地グルメ」ウィキペディア(2025年9月18日閲覧)
- ウィキペディア日本語版編集者「地域おこし」ウィキペディア(2025年9月18日閲覧)
- 農林水産省「うちの郷土料理」農林水産省(2025年9月18日閲覧)
- 同志社大学「魅力要因の実証分析と観光地ブランドの形成方法」同志社大学学術リポジトリ、2011年(2025年9月18日閲覧)
- 渡邉正樹「「地域ブランド」を巡る状況の生成過程」福山平成大学リポジトリ、2020年(2025年9月18日閲覧)
- 日本立地センター「内発的発展のための“新・地域産業”の創出に関する研究」日本立地センター、2014年3月(2025年9月18日閲覧)