なぜ漢字の世界とアルファベットの世界では、ものの「見え方」が違うのか?

漢字とアルファベットが浮かぶ脳のイメージ。読む文字の違いによる脳活動の差を象徴。
目次

あなたが見ている世界は、本当に隣の人と同じですか?

ちょっと考えてみてください。

休日、駅で待ち合わせた友人を人混みの中から探すとき。
あるいは、スーパーの棚にずらりと並ぶ商品の中から、いつもの調味料を見つけるとき。

この「見て」「探す」という行為は、脳科学では「視覚探索」と呼ばれ、
人間にとって最も基本的な能力のひとつです。

誰もが同じように見て、同じように探している ── そう思いますよね。

ところが、です。

京都大学の研究者たちが行ったある実験が、驚くべき事実を明らかにしました。
日本人とアメリカ人では、「見え方」も「探し方」も根本的に違っていたのです。
しかも、その違いを生み出しているのは、文化や価値観ではなく、
私たちが毎日読んでいる「文字」だというのです。

この記事は、日常生活にすぐ役立つライフハックではありません。

でも、漢字文化の人とアルファベット文化の人では、
毎日読んでいる文字が違うことで、
「ものの見え方」や「探し方」そのものが変わってくる。
そんな意外な科学の発見をご紹介したいと思います。

そして、その先には、少し深い教訓が隠れているかもしれません。
どうぞ、5分だけお付き合いください。

京都大学の「間違い探し実験」が明かした、意外な真実

舞台は、京都大学。
研究者たちは、日本人学生とカナダ・アメリカの学生を集め、ある実験を行いました。

課題は、これ以上ないほどシンプルです。
画面いっぱいに表示されたたくさんの線、
その中に、1本だけ「違う」線が紛れています。
それを、できるだけ早く見つけてください ── ただそれだけです。

課題その1:長さの違う線を探す

まずは、こんな課題から始まりました。

パターンA:短い線ばかりの中に、1本だけ「長い線」がある。それを見つける。
パターンB:長い線ばかりの中に、1本だけ「短い線」がある。それを見つける。

あなたなら、どちらが簡単だと思いますか?

アメリカ人学生の結果は、予想通りでした。
パターンAの方が圧倒的に速い。
長い線は、短い線の海の中で「飛び出して」見えるからです。

一方、パターンBは時間がかかります。
短い線を見つけるには、一つひとつ確認しなければなりません。
これは「探索非対称性」と呼ばれる、視覚科学ではよく知られた現象です。

── ところが。

日本人学生の結果は、まるで違っていました。
パターンAもパターンBも、ほぼ同じ速さで見つけられたのです。
つまり日本人にとっては、長い線を探すのも短い線を探すのも、
どちらも容易だった
のです。

研究者たちは首をかしげました。
「同じ人間なのに、なぜこんな差が出るのか?
日本人のほうが、なぜ両方を効率的に見つけられるのか?」

多数の線の中から一本だけ異なる線を探す実験のイメージ
日本人と欧米人が、線の長さ・角度を見分ける速度を比較した実験を再現。

課題その2:傾きの違う線を探す

次に、別の課題が試されました。

パターンC:傾いた線ばかりの中に、1本だけ「真っ直ぐな線」がある。それを見つける。

結果は、今度は劇的に逆転しました。
アメリカ人学生はこれも難なくこなしましたが、
日本人学生は明らかに苦戦しました。

傾いた線の中から真っすぐな線を見つけるのに、時間がかかったのです。

研究者たちは再び首をひねりました。
「線の長さの課題では日本人が優れていたのに、
なぜ傾きの課題は苦手なのか?」

この「逆転現象」こそが、研究の最大の謎でした。
そして、その謎を解く鍵は、意外なところにあったのです。

答えは、あなたが毎日読んでいる「文字」にあった

文化が違えば、世界の見方も違う──
これは文化心理学の分野で、古くから指摘されてきたことです。

「東洋人は全体を見る。西洋人は部分を見る」
この理論は、一見すると前述の結果(線の長さ)を説明できそうです。

日本人は「全体」を見るから、
個々の線の違いに惑わされず、効率的に探せたのだ、と。

しかし、もし本当に「全体を見る文化」が有利に働くのなら、
パターンCでも同じようによい結果が出たはずです。
ところが、現実は違いました。

研究者たちは、別の答えを探し始めます。
そして、たどり着いたのが ── それぞれが使っている「文字」の違いでした。

漢字の世界:線の長さがすべてを決める

ここで、ひとつ質問です。
次の二つの漢字を見比べてみてください。

「土」と「士」

違いはどこにあるでしょう?

そう、真ん中の横線の長さです。
たったこれだけで、意味はまったく変わります。

もう一つ。

 「末」と「未」

上の横線が長いか、下の横線が長いか、
それだけで、別の字になります。

上の例のように、少し線の長さが違うだけで意味がまったく変わるケースは多くはありません。
それでも、漢字の一つひとつの部首や画には、線の長さや位置が驚くほど厳密に定められています。
私たちが知っているとおり、漢字の世界では――
線の長さや交わり方こそが、文字の意味を決める上での重要な要素
なのです。

日本人は幼いころから、
この「わずかな線の長さの違い」を見分ける訓練を、
毎日毎日積み重ねてきました。

つまり、日本人は「線の長さを見分けるエキスパート」なのです。

だから前述の実験で、
長い線と短い線の区別が容易だったのは当然でした。
私たちにとって、それはまさに「朝飯前」の作業なのです。

「土」と「士」、「未」と「末」など、線の長さの違いを示す漢字の比較図
漢字では線の長さが意味を決めることがある。日本人はこの微差を読み取る訓練を日常的に積んでいる。

アルファベットの世界:角度がすべてを決める

では、アルファベットはどうでしょう。

「b」と「d」
「p」と「q」
「W」と「M」
「Z」と「N」

これらは、形そのものはほとんど同じ。
ただ反転させたり、回転させたりしただけの違いです。

アルファベットの世界では、文字の角度や向きが、
意味を決定づける鍵になります。

欧米の子どもたちは、幼いころから、
「この線は右に傾いているか、左に傾いているか」を
正確に見分ける訓練を受けています。

つまり、彼らは「角度を見分けるエキスパート」なのです。

だから第1章の実験で、
傾きの課題を得意としたのは当然でした。
彼らにとって、それはまさに「お手の物」なのです。

「b」「d」「p」「q」などの反転・回転を比較したアルファベット図
アルファベットでは、形の角度や向きの違いが意味を左右する。欧米人はその識別に長けている。

見え方の「逆転」を生んだもの

逆に言えば──

日本人は線の長さには敏感ですが、角度にはそれほど敏感ではありません。
欧米人は角度に敏感ですが、線の長さの違いを見分けるのは(日本人ほどは)得意ではありません。

この「得意・不得意のパターン」こそが、
先ほどの実験で見られた「逆転現象」を完璧に説明します。

京都大学の研究者たちは、こう結論づけました。

「私たちが用いる “文字” こそが、
私たちの脳とその視覚システムをチューニングし、世界の見え方を根本的に変えているのだ。」

読む「文字」が違うと、使う脳の領域も違ってくる

この結論は、最新の脳科学の知見とも一致しています。

フランス語を読む子どもと、中国語(漢字)を読む子どもの脳を比較した研究があります。
驚くべきことに、同じ「読む」という行為をしているにもかかわらず、
活発に働く脳の領域がまったく異なっていたのです。

漢字を読む子どもの場合、「視空間処理」── 複雑な形を見分け、
構造をとらえる領域がより活発に働いていました。

一方、アルファベットを読む子どもの場合は、「音韻処理」──
音を聞き取り、言葉へと変換する領域が主に働いていた
のです。

つまり、人の脳は、その人が読んできた文字の性質に合わせて育っていくということ。

日本人が線の長さや全体のバランスに敏感で、
欧米人が角度や方向に敏感なのも、文化というソフトウェアの違いではなく、
むしろ、文字という「入力装置」に合わせて、
脳というハードウェアが最適化されてきた結果なのです。

漢字を読むときとアルファベットを読むときに働く脳の領域を示す図
漢字は「視空間処理」、アルファベットは「音韻処理」を主に使う。読む文字が脳の使い方を変えている。

文字の違いが、人を分けるのではなく、つなぐためには

京都大学の研究結果や最新の脳科学の知見は、
読む文字の種類によって、人の脳は異なる方向に訓練され、
その結果、世界をどのように知覚するかまで変わりうる
ことを示しています。

冒頭でも触れたように、この記事で紹介した内容は、
すぐに生活の役に立つライフハックではありません。

けれども、日本語や漢字を読み続けてきた私たちの「感覚」を、
あらためて見つめ直すきっかけにはなるでしょう。

そして、こうした違いを知ることは、
文化や感性の異なる他者を理解する入口にもなります。

自分や他者のものの「見方」の背景を理解すること。
それもまた、これからの時代の知性を育てる上での
大切な一要素となるのではないでしょうか。

参考文献・出典一覧

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この記事を書いた人

「日本リテラシー」の専門家・ナビゲーター。
「世界はなぜでできている」「豊かな日本を築いた名もなき功労者たち」編集長兼コンテンツライター。
翻訳・調査・Webマーケティング専門会社の経営者として25年以上にわたり、企業・官公庁向けにサービスを提供。
日本文化・歴史・社会制度への深い理解をもとに、読者が「なるほど」と思える知的体験をお届けします。

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