なぜ日本人は炭水化物をおかずに炭水化物を食べるのか?~「ラーメンライス」は暴走ではない。口中調味という作法~

白い「キャンバス」のキャラクターが白飯とラーメンの丼を持ち、周囲に餃子や唐揚げなどが浮かぶコミカルなイラスト
目次

世界が目を丸くする、日本の定食セット

インバウンドでにぎわう日本。
和食はヘルシーだ、繊細だ、奥深い ――
そう褒めちぎっていた観光客が、メニューを見た瞬間、
言葉を失うことがあります。

原因は、だいたいこれです。
「ラーメン+餃子+ライス」

「Why double carbs?(なぜ炭水化物で炭水化物を?)」
いや、今回はダブルどころではありません。
主役が三人、同時にセンターへ出てきた感じ。
彼らの目には、「パスタをおかずにパンを食べる」級の事件に映るのでしょう。

でも、日本人にはまったく別の景色です。
あれは背徳でも暴挙でもありません。
むしろ安心感。
「ああ、今日も勝ちだな」と思える、ちょうどいい黄金比。

ちなみに私は、中国で餃子と白飯を一緒に注文したことがあります。
すると、店の空気が一瞬止まりました。
箸も会話も、ぴたりと止まる。
あとで聞くと、中国では餃子は主食扱い。
ご飯と組ませる発想そのものが、あまりないそうです
(もちろん地域差はありますが)。

では、なぜ日本ではこの組み合わせが、
何事もなかったかのように定食として成立しているのか。

答えは、日本が外来の料理を迎え入れるときに発動する、
おなじみの魔改造にあります。
しかもこれは、思いつきや勢いではない。
ちゃんとした基本ルールがある。

その中核にあるのが ――
「口中調味(こうちゅうちょうみ)」です。

ここから話は、一気に日本人の口の中へ入っていきます。

白飯は、主食でありながらキャンバスだ

世界と日本では、「主食」という言葉の扱いが少し違います。

中国や韓国では、米も麺もれっきとした主役。
どちらもエネルギー源として堂々とセンターに立ち、
食卓のど真ん中を取り合うライバル同士です。

だから、主役を二人も三人も同時に並べる食べ方は、
どう見ても脚本ミス。
「それ、配役おかしくない?」となるのも無理はありません。

でも、日本の白飯はちょっと変わっています。

白飯は、前に出て目立つタイプではない。
むしろ黙って受け止める側。
単なるカロリー源というより、
他の味を一度引き受けて、整えてから返す存在です。

役割で言えば、
中和剤であり、キャンバス。

ここで登場するのが「口中調味」
やり方は簡単です。

まず、味のついたものを口に入れる。
その余韻が残っているうちに、白飯をほおばる。
あとは、口の中に任せる。

すると不思議なことに、
塩気も脂も、濃さも角が取れて、
「ちょうどいい」ところに着地する。

白飯が無味に近いからこそ、
味は暴れず、整え直せる。
日本人にとって白飯は、
主食でありながら、味覚のバランサーでもある
わけです。

主役なのに、出しゃばらない。
何も足さないのに、全部をまとめる。
白飯という存在、なかなかの仕事人なのです。

白飯をキャンバスに見立て、箸でスープ色を描き足している様子をコミカルに描いたイラスト
何も描かれていないからこそ、どんな味でも受け止められる。

ラーメンは麺料理をやめました

炭水化物の麺が入っているのだから、ラーメンは主食。
そう思うのは、とてもまっとうです。

ただ、それは「成分表」を見て判断している場合の話。
日本の食卓は、そこまで理系ではありません。

私たちは、ときどき食べ物を「機能」で再編成するのです。
基準はシンプル。
「炭水化物かどうか」ではなく、
「白飯と合う味かどうか」です。

ラーメンのスープを思い出してください。
塩分、脂、うま味が前のめり。
一口で、口の中を制圧してきます。

この時点で、脳内に小さな声が響く。
「これは……白飯案件だな」と。

そうなると、ラーメンはもう麺料理ではありません。
汁の多いおかずです。

餃子も同じです。
皮はたしかに炭水化物ですが、
口に入ってくるのは、肉の旨み、ニンニク、タレの刺激。

粉より先に、味が殴ってくる。
となれば分類は決まりです。
餃子は「粉もの」ではなく、味の塊(=おかず)。

つまり「ラーメン+餃子+ライス」は、
主食が三人並んで暴走しているわけではありません。

実態はこうです。
濃厚スープ(おかず)+味の塊(おかず)+白飯(キャンバス)

見た目は主役が三人。
でも配役は、それぞれまったく別。

白飯は前に出たり引っ込んだりしながら、
黒子として照明を当て直し、
濃い二人が舞台を壊さないように支えている。

この地味な裏方がいるから、
日本の食卓の魔改造は、今日も事故らずに済んでいるのです。

白飯が裏方のように振る舞い、ラーメンと餃子に光を当てている様子を描いたイラスト
白飯は目立たないけれど、いちばん仕事をしている。

まずは腹いっぱい。それが正義だった

この食べ方が日本に根づいた理由は、
高度な味覚だけではありません。
もっと切実で、もっと現場的な事情があります。

戦後から高度経済成長期。
日本人が何より欲しかったのは、
「余韻」や「物語」より、まず満腹でした。

明日も働く。
朝も早い。
給料日前は長い。

そんな日々の中で求められたのは、
手早く、安く、確実に腹を満たすこと。
理屈より先に、胃が鳴る。

そう考えると、
米と小麦を組み合わせるという選択は、
現場目線ではかなり合理的でした。
腹持ちはいい。満足感も高い。
なにより、強い。

餃子もまた、そこでポジションを確保します。
安い。うまい。焼けば香ばしい。
そして、しっかり腹にたまる。

気づけば餃子は、
ラーメンの横に立つ、
「頼れる相棒」の座を獲得していました。

美食の理論より、
栄養学の最適解より、
まずは今日を乗り切るための一皿。

「ラーメン+餃子+ライス」は、
そうした時代の胃袋が選び抜いた、
実に人間らしい答えでもあったのです。

満足そうな人間のお腹を中心に、ラーメン、白飯、餃子が並び、みんなで腹を満たしている様子を描いたコミカルなイラスト
文化より先に、腹が減っていた。

それは「Crazy」ではなく「Optimization(最適化)」だ

こうして全体を見渡すと、
「ラーメン+餃子+ライス」は、
思いつきの暴走でも、炭水化物同士の衝突事故でもありません。

味の強いものは「おかず」に回す。
白飯はキャンバスとして使う。
そして、口の中で味を完成させる。

ただそれだけの、シンプルなルールです。

このルールがあるから、
ラーメンも、餃子も、
本来は異国からやって来たはずなのに、
日本の食卓にすんなり居場所を見つけました。

日本の魔改造は、勢い任せではありません。
ちゃんと理屈がある。
しかも、その理屈は「胃袋基準」。

現代の感覚で見れば、たしかに糖質は多めです。
健康アプリに入力したら、
たぶん一瞬ため息をつかれるでしょう。

それでも、この組み合わせが生き残ってきたのは、
「どうすれば、もっとおいしく、もっと満足できるか」
という問いに、正面から向き合ってきた結果です。

もし海外の友人に、
「Crazy!」と言われても、慌てる必要はありません。

少しだけ肩をすくめて、こう返してみてください。

No — it’s not three staples.
For us, ramen and gyoza are rich side dishes.
And the rice is the canvas.

(いいや、主食が三つなんじゃない。
日本人にとっては、ラーメンも餃子も「濃いおかず」。
米は、その味を受け止めるキャンバスなんだ。)

それでもまだ怪訝な顔をされたら、
最後に、ニヤリと一言。

It’s a Japanese system optimization.

(これは日本の「システム最適化」なんだよ。)

—— ごちそうさまでした。

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この記事を書いた人

「日本リテラシー」の専門家・ナビゲーター。
「世界はなぜでできている」「豊かな日本を築いた名もなき功労者たち」編集長兼コンテンツライター。
翻訳・調査・Webマーケティング専門会社の経営者として25年以上にわたり、企業・官公庁向けにサービスを提供。
日本文化・歴史・社会制度への深い理解をもとに、読者が「なるほど」と思える知的体験をお届けします。

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