色を奪われた人々が、生み出した「無限の色」
「四十八茶百鼠(しじゅうはっちゃ ひゃくねずみ)」。
この言葉を初めて目にしたとき、正直、読み方さえ分かりませんでした。
でも調べるうちに、江戸の人々の不屈の強さと、
その奥に息づく繊細な美意識に、深く心を動かされたのです。
字義通りに読めば、「四十八の茶色」と「百の鼠色」。
けれどこれは正確な数を意味する言葉ではなく、
「数えきれないほどの多くの色」を表す、粋な比喩表現です。
実際、江戸の染師たちはそれぞれ百を超える茶や鼠の濃淡を生み出したといいます。

この「四十八茶百鼠」は、幕府による度重なる倹約令のもと、
派手な色を禁じられた人々が生み出した、独自の色彩文化でした。
皮肉なことに、色を奪ったはずの倹約令が、
日本史上もっとも洗練された色の世界を育ててしまったのです。
地味の中に個性を宿し、抑制の中に美を見出した江戸の人々。
その精神はやがて「粋(いき)」へと結晶し、
さらに時代を越えて、現代のミニマリズムへと受け継がれていきます。
制約が色彩文化を豊かにした
江戸の町には、「秩序」という名の見えないドレスコードがありました。
その根にあったのは、朱子学の思想です。
上下の区別を正し、身分をわきまえ、無駄を慎む。
この教えの下で、武士は節度を、農民は忍耐を、町人は倹約を求められました。
やがて幕府は、この秩序を保つために奢侈禁止令(しゃしきんしれい)を繰り返し出します。
紫、紅、金銀などの華やかな色は「身の程知らず」とされ、
庶民がまとうことを許されたのは、茶と鼠のような地味な色だけ。

しかし、江戸の町人は「はい」と素直に従うような人々ではありません。
「ならば、その中でどこまで美しくなれるか」──。
そう考えた彼らの工夫が、「四十八茶百鼠」という色彩文化を生み出しました。
茶には、芝翫茶(しかんちゃ)、路考茶(ろこうちゃ)、団十郎茶(だんじゅうろうちゃ)、
江戸茶(えどちゃ)、媚茶(こびちゃ)、鳶茶(とびちゃ)。
鼠には、梅鼠(うめねず)、深川鼠(ふかがわねず)、藍鼠(あいねず)、
湊鼠(みなとねず)、小町鼠(こまちねず)、銀鼠(ぎんねず)。
どれも、わずかな違いを見抜く眼と、名づける遊び心の結晶でした。
商人たちは、経済の中心にいながら社会的には最下層に置かれていました。
身分では劣っても、美意識では負けない。
この静かな「逆襲」こそが、江戸文化の原動力です。
幕府が規制を重ねるたび、町人たちはその隙間に新しい美を見つけていきました。
奢侈禁止令は、人々を縛り付ける鎖ではなく、
むしろ創造性という火に空気を送る「ふいご」だったのです。
「いき」という美的抵抗
江戸の町人たちは、ただ我慢したわけではありません。
彼らは、抑えつけられた世界の中で「新しい自由」を見つけ出したのです。
奢侈禁止令のもとで華やかな色を奪われても、
「美を楽しむ自由」までは奪わせない。
そう考えることが、江戸人の矜持でした。
こうして彼らは、禁じられた外側で遊ぶのではなく、
その内側を塗り替えることを始めます。
派手な色を隠し、地味な色の中に、洗練と品格を宿す。
それがやがて「いき(粋)」という美意識へと結晶していきました。
「いき」とは、単なるお洒落ではありません。
表に出さず、語らず、誇らず。
にもかかわらず、確かな自尊が滲む生き方です。
見せびらかすことを卑しく感じ、
控えめな外見の中で気品を見いだす。
この感覚こそ、江戸人が発明した「静かな反骨精神」でした。
その象徴が、「裏勝り(うらまさり)」。
表は灰色でも、衣服の裏地には紅や藍を潜ませる。
外から見えないところにこそ、本当の洒落を置く。
これは、法に背かずして、心の自由を守る技でした。
「贅沢」という言葉の意味を、人の内面へと逆転させたのです。

茶と鼠の世界は、節約ではなく、知性を洗練させる舞台でした。
たとえば梅鼠(うめねず)は、紅を禁じられた時代に、
その名によって、春の華やぎをわずかに取り戻しました。
団十郎茶(だんじゅうろうちゃ)は、人気役者・市川團十郎が好んだ色で、
彼の名とともに「粋な江戸人の象徴」として広まりました。
こうして、一見地味に見える一枚の着物に、憧れと誇り、そして洒落を織り込んだのです。
「四十八茶百鼠」とは、法をめぐる抵抗にとどまらず、
感情の再構築であり、社会的な自己表現そのものでした。
江戸の町人たちは、与えられた枠を壊すことなく、
その枠の中に、一見目立たない花を咲かせたのです。
それは、ひそやかに咲きながらも、人の心を奮い立たせる花でした。
江戸の人々は、その花を「いき」と呼んだのです。
今に生きる「控えめの美」
江戸の町人たちが咲かせた一見目立たないその花は、時を越えて今も香り続けています。
豪華でも華美でもありませんが、不思議と人の心を落ち着かせる。
そんな美が、現代の日本のデザインには息づいているのです。
「何も足さない」美 ― 無印良品に息づく江戸の精神
たとえば、無印良品。
棚に並ぶのは、素のままの器や生成りのシャツ、無駄のない家具たち。
そこには「人目を引くよりも、手になじむ美」があります。
主張を削ぎ落としたその佇まいは、まるで江戸の町人が茶と鼠で磨いた「いき」の再来のようです。
どこまでも控えめで、どこまでも誠実。
派手さを嫌い、品格で勝負する。
まるで町人たちの魂がそのまま店頭に並んでいるようです。

無印のアートディレクター、原研哉さんは言います。
「白とは、何もないことではなく、何にでもなれること」。
この言葉には、江戸人の感性がそのまま生きています。
「空白」を恐れず、そこに心の余白を見いだす。
それは、装飾を重ねる西洋の美学とはまったく異なる方向の思想です。
言い換えれば、日本人は「何も足さない」ことで世界を魅了してきたのです。
自然と共に呼吸するデザイン ― 隈研吾が体現する「引き算」の思想
そして建築の世界にも、そのDNAは受け継がれています。
隈研吾さんの建物を見れば、それがよくわかります。
木、竹、和紙 ── 自然素材の肌触りを活かしながら、
光と影のあいだに「心が安まる空間」をつくり出す。
建物が環境に溶け込むように佇むその姿は、
江戸の職人が「裏に紅を染めた」あの感覚に、どこか通じたものを感じます。

世界が憧れる「静けさの美学」― ZENデザインの源流
今、世界が「ZENデザイン」と呼んで賞賛するミニマリズムの根には、
この「控えめの美」の思想があります。
それは、足し算ではなく引き算で完成する美。
目を奪うのではなく、心に残る美。
「派手を禁じた時代」が育んだ抑制の文化が、
21世紀のデザインの核心にまで届いているのです。

人はしばしば、豊かさを「量」で測ろうとします。
でも、日本の美意識はその逆を行きます。
何も足さないことで、本当に大切なものだけが浮かび上がる。
── それこそが、江戸から現代へと続く「静けさの中の贅」なのです。
凛として、美しく。
「四十八茶百鼠」とは、色の話だけにとどまりません。
それは生き方の話でもあります。
制約の中で、どう気品を保つか。
競わずして、どう個を輝かせるか。
江戸の人々はその答えを、茶と鼠に託しました。
見せびらかさず、抗わず、けれど折れない。
それが、彼らの「美の作法」でした。
今の時代にこそ、この知恵が要るのかもしれません。
何かを飾るより、そぐ勇気を持つこと。
声の大きさより、内なる品格で人を動かすこと。
── それが、日本という国が世界に示し続ける、美のかたちなのです。
参考文献・出典一覧
- web-japan.org (niponica)「茶と紫─江戸の流行色」web-japan.org(2025年10月18日閲覧)
- Japaaan Magazine「お江戸の美意識!”地味色”を”粋な色”に変身させる江戸っ子センス「四十八茶百鼠」とは?」Japaaan Magazine、2016年12月16日(2025年10月18日閲覧)
- 国立国会図書館「四十八茶百鼠(しじゅうはっちゃひゃくねず)とは何か?江戸時代の染色に関する言葉らしい。」レファレンス協同データベース(2025年10月18日閲覧)
- 職人.com網誌「【江戶庶民流行色之「四十八茶百鼠」】」職人.com網誌、2023年4月19日(2025年10月18日閲覧)
- Wikipedia「奢侈禁止令」Wikipedia(2025年10月18日閲覧)
- 殺陣教室・東京のスクール「江戸時代の身分と着付け」殺陣教室・東京のスクール(2025年10月18日閲覧)
- 刀剣ワールド「江戸時代の服装とは/ホームメイト」刀剣ワールド(2025年10月18日閲覧)
- kariginu.jp「服制の歴史」kariginu.jp(2025年10月18日閲覧)
- 歴史公園えさし藤原の郷「平安時代の服装を徹底解説|貴族と庶民の衣装の違いに迫る」歴史公園えさし藤原の郷(2025年10月18日閲覧)
- カラータイプ®「【カラータイプ®×パーソナルカラー】「四十八茶百鼠」は庶民の…」カラータイプ®(2025年10月18日閲覧)
- 819529.com「江戸庶民のファッション事情(前編) 奢侈禁止令と呉服」819529.com、2015年6月(2025年10月18日閲覧)
- Reddit (r/AskHistorians)「江戸時代の贅沢禁止令」Reddit、2018年頃(2025年10月18日閲覧)
- カラースクール TAA「梅鼠色(うめねず)四十八茶百鼠」カラースクール TAA、2022年1月14日(2025年10月18日閲覧)
- コトバンク「服飾規制(ふくしょくきせい)とは?意味や使い方」コトバンク(2025年10月18日閲覧)
- 維基百科「天保改革」維基百科(2025年10月18日閲覧)
- HafH.com「《Hotel Kazusaya(卡津薩屋酒店)》」HafH.com、2020年7月(2025年10月18日閲覧)
- 新潟フレキソ「御納戸色とは?江戸時代のトレンドカラーの意味・由来・歴史を徹底解説」新潟フレキソ(2025年10月18日閲覧)
- igallery.sakura.ne.jp「美意識の研究」igallery.sakura.ne.jp(2025年10月18日閲覧)
- 江戸・東京デジタルミュージアム「江戸っ子は渋好み | 大江戸ファッション」江戸・東京デジタルミュージアム(2025年10月18日閲覧)
- 和色「芝翫茶」和色(2025年10月18日閲覧)
- 伝統色のいろは「芝翫茶(しかんちゃ)とは?」伝統色のいろは(2025年10月18日閲覧)
- i-iro.com「路考茶(ろこうちゃ)の色見本・カラーコード」i-iro.com(2025年10月18日閲覧)
- 伝統色のいろは「役者色関連の一覧」伝統色のいろは(2025年10月18日閲覧)
- 和色大辞典「日本の伝統色 和色大辞典 – Traditional Colors of Japan – カラーコード」和色大辞典(2025年10月18日閲覧)
- 伝統色のいろは「日本人の美の心!日本の色【伝統色のいろは】」伝統色のいろは(2025年10月18日閲覧)
- Wikipedia「苅安色」Wikipedia(2025年10月18日閲覧)
- iroai.jp「染色・草木染めにおける刈安(かりやす)」iroai.jp(2025年10月18日閲覧)
- あの色図鑑「刈安色 (かりやすいろ) Kariyasu」あの色図鑑(2025年10月18日閲覧)
- 着物の世界を旅する勉強サイト「【II 日本の伝統色・黄色系】~刈安~」着物の世界を旅する勉強サイト、2020年1月15日(2025年10月18日閲覧)
- 伝統色のいろは「鼠色(ねずみいろ)とは?」伝統色のいろは(2025年10月18日閲覧)
- Google Sites – 結晶美術館「弁柄(ベンガラ)」結晶美術館(2025年10月18日閲覧)
- 高崎市公式ホームページ「染料植物の道を歩こう – 【文化施設】染料植物園」高崎市(2025年10月18日閲覧)
- 國家文化記憶庫2.0「湖山國小藍染技法之型染」國家文化記憶庫2.0(2025年10月18日閲覧)
- 維基百科「藍染」維基百科(2025年10月18日閲覧)
- iroai.jp「染色・草木染めにおける灰汁(あく)の効用と作り方。」iroai.jp(2025年10月18日閲覧)
- 徳島県立博物館「とっても簡単!草木染め」徳島県立博物館(2025年10月18日閲覧)
- nunocoto fabric「草木染め(植物染め)を始めてみよう【基本のはなし】」nunocoto fabric(2025年10月18日閲覧)
- goodmovement-standard.com「歴史を紡ぐ挑戦者|眠れる伝統を呼び覚ます。刈安染めプロジェクト」goodmovement-standard.com、2024年8月21日(2025年10月18日閲覧)
- livedoor Blog「草木染め方法」livedoor Blog(2025年10月18日閲覧)
- 工房夢細工「草木染の染め方」工房夢細工(2025年10月18日閲覧)
- 染の里 おちあい「江戸染色の技法」染の里 おちあい(2025年10月18日閲覧)
- 着物ファッションと買い物のアルバム日記 part2「江戸小紋と加賀小紋と京小紋の話とお買いもの@大阪」着物ファッションと買い物のアルバム日記 part2(2025年10月18日閲覧)
- バイセル「江戸友禅の歴史と魅力 ~日本三大友禅シリーズ~」バイセル(2025年10月18日閲覧)
- FUN! JAPAN「日本の「染色品」とは?京都や石川など代表的な産地と特徴」FUN! JAPAN(2025年10月18日閲覧)
- JR西日本「四季の色彩を尊び手技の精緻を極める 京の染と織」JR西日本(2025年10月18日閲覧)
- kimono-obi.site「西陣織の重要素材の糸と12種類の品種を紹介」kimono-obi.site(2025年10月18日閲覧)
- 西陣の糸屋「西陣の糸屋 基本カラー全36色」西陣の糸屋(2025年10月18日閲覧)
- 西陣織工業組合「西陣織の品種」西陣織工業組合(2025年10月18日閲覧)
- Premium Japan「読めますか?日本の伝統色「芝翫茶」」Premium Japan(2025年10月18日閲覧)
- 博物館明治村「おしゃれでカラフル!明治時代に活躍した浮世絵師5選」博物館明治村(2025年10月18日閲覧)
- 和樂web「見せる下着は江戸時代にも!浮世絵美女の「チラ魅せ」テクニック」和樂web(2025年10月18日閲覧)
- アダチ版画研究所「赤い色に江戸の版画の変遷を見る「赤 ―色が語る浮世絵の歴史」展レポート」アダチ版画研究所、2022年3月19日(2025年10月18日閲覧)
- 機関誌『水の文化』「浮世絵における「藍」の存在感」機関誌『水の文化』(2025年10月18日閲覧)
- ARTWORKS.gallery「<前編>知ってた?浮世絵にちょっと詳しくなれるトリビア。」ARTWORKS.gallery(2025年10月18日閲覧)
- 名古屋刀剣博物館「浮世絵の色使い/ホームメイト」名古屋刀剣博物館(2025年10月18日閲覧)
- ほとんど0円大学「世は色につれ ファッション・カラーにみる時代の移り変わり」ほとんど0円大学(2025年10月18日閲覧)
- watahanaブラウス「日本人が洋服を着始めた時代はいつから?」watahanaブラウス、2025年1月2日(2025年10月18日閲覧)
- 文化学園服飾博物館「日本の洋装化と文化学園のあゆみ」文化学園服飾博物館、2023年(2025年10月18日閲覧)
- セイコーウオッチ「「プレザージュ ミュージアム」クラシックシリーズの背景にある日本の美意識を探求して-草木染め編」セイコーウオッチ(2025年10月18日閲覧)
- 銀座もとじ「装いは常に時代を象徴してきた、今秋は明治から昭和初期に着目!」銀座もとじ(2025年10月18日閲覧)
- Wikipedia「民藝運動」Wikipedia(2025年10月18日閲覧)
- 大阪歴史博物館「柳 宗悦展-暮らしへの眼差し」大阪歴史博物館、2011年(2025年10月18日閲覧)
- 銀座もとじ「染織に宿る“本物”の美とは。民藝の提唱者・柳宗悦の軌跡を辿る着物街道の旅」銀座もとじ(2025年10月18日閲覧)
- 日本民藝館「柳宗悦と民藝運動の作家たち – 併設展」日本民藝館、2017年1月(2025年10月18日閲覧)
- SOWAKA「和と北欧の融合。ジャパンディスタイルの魅力に迫る」SOWAKA(2025年10月18日閲覧)
- Dans Le Gris「わびさびとは?不完全な美を受け入れる」Dans Le Gris(2025年10月18日閲覧)
- 小さな美術館 note「原研哉のデザイン哲学『白』」小さな美術館 note(2025年10月18日閲覧)
- コーティングメディア「新たな「黄色」で安全と景観を両立 新点字誘導ブロック開発」コーティングメディア、2018年1月24日(2025年10月18日閲覧)
- kabi-mist.com「隈研吾氏の木造建築にみるカビ問題:デザインと耐久性の課題と解決策」kabi-mist.com、2024年11月25日(2025年10月18日閲覧)
- Wikipedia「隈研吾」Wikipedia(2025年10月18日閲覧)
- wjwn.org「岡倉覚三(天心)著『茶の本』」wjwn.org(2025年10月18日閲覧)
- iroai.jp「真の美はただ「不完全」を心の中に完成する人によってのみ見いだされる。『茶の本』」iroai.jp(2025年10月18日閲覧)
- 中村圭佑「江戸時代の武士の服装は身分ごとに決まっていた(下級武士編)」note(2025年10月18日閲覧)
- 中山千代「日本洋装史における女性服の変遷と女性の社会進出(1)明治時代」青山学院大学(2025年10月18日閲覧)
- コテツ|ブランディング「日本発の最強ブランド。『無印良品』の話。」note(2025年10月18日閲覧)
- 神奈川大学「『茶の本』で見る、美の道 ―自らで埋める「虚」」神奈川大学(2025年10月18日閲覧)
- 長野県短期大学「江戸時代における被服規制」長野県短期大学(2025年10月18日閲覧)
